出産後まもまく、マリーは仕事に復帰しました。
ファッションから化粧品、そしてインテリアへとマリーの活躍の場はとどまるところを知らないかのようでした。でも、マリーにとっては、「オーランドが一番大事」。彼が熱を出して苦しんでいた時、「私、ハシカにかかっちゃって・・・」なんて、嘘をついて看病したこともあったほどです。
でもマリーは甘いばかりの母親ではありませんでした。なるべく早いうちに家から離した方がいいという判断から、彼が2歳になるかならない頃に、学校に通わせる決心をしたのです。もちろん、まだまだ遊びが中心の幼稚園のようなところでしたが・・・。本格的に学校を選ぶ段になると、しつけの厳しいことで有名な学校をあえて選んだのもマリーでした。「締めるべきところは、きちんと締めたい」・・・これがマリーの教育方針でした。
この頃、マリーたち家族はロンドンから車で1時間ほどのところにあるサリー州に家を構えていました。
イタリア式の家と庭。そして、その向こうに農場が拡がっているという環境がマリーのお気に入りでした。
家にこもりはじめた頃から好きになった庭いじりは、夫であるアレキサンダーに「なぜ、そんなにしょっちゅう水をやるんだ」とからかわれるほどでした。
「だって、庭は生き物と同じなの。いつも先へ先へと成長していって追いつけない。その先を読み取って育ててやらないといけないから、目が離せないし、楽しい」とマリー。時には夜、事務所のあるロンドンから車を飛ばして家に戻り、懐中電灯を片手に庭いじりをすることさえあったとか。
事業を軌道にのせるため、あるいは、さらなる野心に燃えていたときのマリーとは、また違った意味で充実した毎日でした。
妻として、母として、そしてデザイナーとして・・・そのいくつもの役割をマリーは楽しんでいました。
「私には時間の区切りなんかないの。だって、まるっきり公私混同。どの時間を切り取っても、私は素顔のまま。」・・・マリーは完全復帰を果たしたようです。