1966年にデビューを果たしたマリーのコスメは、世界各国に浸透しはじめていました。
ニュージーランド、フィンランド、カナダでの成功に続いて、1970年にはニューヨークに進出。パリやストックホルムでは10人に1人はマリーのミニをはいて、マリーの口紅をつけているという話まで聞こえてくるほどでした。
日本でもマリーのミニはロンドンやアメリカに比べると1~2年ばかり遅かったけれど、驚異的なブームになっていました。その中でもファッション意識の高い人たちは、まだ日本で販売されていないマリーのコスメのニュースをすでにキャッチしていました。ファッションモデルたちがロンドンの「おみやげ」にマリーのコスメを持ち帰ったり、マリーのコスメを目当てにニューヨークまでわざわざ出かけた女性もいたほどです。
その頃、ある化粧品メーカーの社長がマリーのコスメに関して、リサーチを進めていました。「カラー」をコンセプトにした化粧品を探していた彼に、知人がマリーのコスメを紹介したのがことのはじまりでした。
彼女のコスメを見た彼は、今までにない新鮮な魅力を感じました。しかも、実際にリサーチしてみると知名度25%という数字があがってきました。これは彼が想像していた以上の数字でした。当時からすると、リップカラーにしても、ネイルにしても、とても突飛な色ばかり。
でも彼は決断しました。そして、決断するやいなや、まわりの人があっけにとられるほどの素早さで、イギリスに向かいました。
日本の化粧品市場は、洗練された製品とパッケージがひしめいている競争の激しいマーケットだということはマリーも知っていました。評価が厳しい世界だからこそ、マリーはいつか日本に進出したいと心秘かに思っていたのです。
そこに現れたのが彼でした。彼の考え方はとても進歩的で先見性に富んでいました。マリーのポリシーに共感した彼は、彼女の化粧品をファッション売場で・・・というアイデアを提案。マリーの新鮮でカラフルな化粧品が日本に上陸したのは、その翌年のことでした。