家にこもるようになったマリーのウツ状態は依然そのままでした。
でもそんなある日、マリーは赤ちゃんを授かっていることに気がついたのです。それまでに何度も「子供を産みたい」と思ったことがありました。でも結婚した頃やいろんな冒険に打って出ていた頃、彼女は野心家でした。新しい事業やいろんなアプローチが次から次へとあって、・・・とにかく仕事が最高におもしろかったのです。一生の仕事としての基盤づくりが先決だという思いもありました。
妊娠があきらかになって以来、マリーは精神的にも安定しはじめました。
そんな時、改めて家の中を見回すと、もっと家の中にもファッション性が必要だと思えてきたのです。
ふたたび時代がマリーを後押ししてくれました。
それは幸運な偶然でした。ちょうどこの頃(70年代のはじめ)、人々の視線は家庭の内側へと向かい始めていたのです。マリーはとりつかれたかのように、意欲的にデザインに取り組みました。カーテンやベッドウェア、キッチンウェア、などの・・・。
そしてついには、インテリアまでデザインするようになりました。
1970年、マリーは男の子を出産しました。
彼の名は、オーランド。マリーの宝物です。「仕事よりも何よりも、彼が一番大事」・・・マリーはそう言い切ります。赤ん坊の時、マリーはよく彼をバスケットに入れて連れ歩いていました。海外での仕事であろうと「子供と一緒」は、彼が17歳になるまで続きました。息子に自分の世界を理解してもらうために・・・。子供をもって仕事をすることはとても難しいことです。
「女が仕事をもつべきかどうかは個人の問題。でも家事や育児に追われ、たまったフラストレーションを子供に押しつけるなんて最悪。」とマリー。でも、マリーのように代打が通用しない仕事をもっていると、ちょっとやそっとのことで仕事に穴をあけるワケにはいきません。ある日、オーランドが熱をだしてしまったことがありました。彼女は仕事先に電話をかけて、こう言いました。「ごめんなさい。私、ハシカにかかってしまったの。」