プロモーション・ツアーはどこでも大盛況でした。
大勢の女の子たちがマリーの考え方やデザインに関心をもってくれていることを知って、マリーは感激しました。彼女たちは、丹念に下調べして、マリーがめざしていることを良く知っていました。ツアーの最後に予定されていたのはキャンサスです。このキャンサスではホテルに帰るために、とうとう警官に誘導してもらわねばならないほどの騒ぎになりました。
しかもホテルに帰ってみると、すでにそこには60人もの女の子たちが待ちかまえていたのです。
彼女たちは「マリーに会うまではここから一歩も動かない」とホテルマンとやりあっていました。
彼女たちはいろんなことを知りたがっていました。
マリーは彼女たち全員を自分の部屋に招き入れ、彼女たちの質問に答えることにしました。
「デザイナーになるにはどんなことからスタートすればいいの」
「どうして今、新しいことはパリではなくロンドンからはじまるの」
「アメリカではどうして何でも1番に起こらないの」
などなど。マリーはそんな若い人たちが大好きでした。マーケットとしての若い層に興味があるのではなく、若い世代そのものにマリーは興味をもっていました。
この日、マリーはすでにグロッキーでした。でも、彼女たちがどんな質問をするのか知りたいという誘惑に勝つことができなかったのです。長かったツアーの最後の夜でした。
その翌日、キャンサスからの一番機でニューヨークに戻ったマリーは、今回のツアーが大成功だったと聞かされました。でも、言われなくてもマリーにはその実感がありました。マリーたちスタッフもモデルたちも、ひとりひとりが責任をもって、成功させなければと肝に銘じて行動してきたからです。マリーたちは3週間半も共同生活を続けて、一度として言い争うこともなく、誰ひとり飛行機に乗り遅れることもなく、どんな小さなものもなくしたりしませんでした。ただ、みんな身体がバラバラになったような気がするほど疲れ果てていました。
プロモーション・ツアーの企画段階で、宣伝費の面からモデルを同行させることに難色を示したピューリタン社の一部の慎重派も、この結果にはさすがに文句のつけようがなかったようです。
次の日、マリーと夫のアレキサンダーは、ピューリタン社のカール社長と週末を過ごすためにボストンに向かう小型機に乗り込みました。マリーたちのために特別に用意されたチャーター機でした。
小型機がボストンの郊外にある小さな空港についたとき、そこには自ら出迎えに出たカール社長の姿がありました。それは、大きな仕事をやり遂げてくれたマリーたちへのひとつの感謝のしるしでした。