黒のストッキングに革のブーツをはいてキングス・ロードを行くチェルシー・ガール。
マリーが創案した彼女たちのファッションは、まずロンドンの他の地区の女の子が真似しはじめ、またたくまに世界中に広がろうとしていました。
'50年代半ばのことです。
ファッションの新しい傾向は、若い人たちが創るという方向に時代が変わってきました。彼女たちにとってファッションは、ひけらかすものではなく人生を大胆に楽しむもの・・・。その感性が、マリーのデザインとぴったりと一致したのです。
「バザー」はこうした変化の一端を担って、ファッション業界に根本的な改革をもたらす原動力になりました。でも、「バザー」人気は過熱気味。入店制限をしなければならない日が続きました。激しく変わっていく時代の中で、こうした現状はうれしさだけでなく焦燥感をも伴っていました。変化のスピードに「バザー」のキャパシティが追いつかないという焦りです。
ニーズに応えるためには、店を拡張する必要がある・・・。
これは、「バザー」のみんなの共通した思いでした。
マリーがシーズン毎に新しいコレクションを発表しはじめたのもこの頃からです。
マリーのデザインやラインが知れわたるにつれて、イミテーションが出回り始めたからです。ファッションは個性を引き立たせる背景。なのに誰もが着るユニフォームみたいになってしまっては、「らしさ」が消えてしまう・・・マリーはそう考えました。
そんなある日、ダビッド・ワイン・モーガンという人からマリーに手紙が届きました。彼は海外にファッション・ショーをもっていく仕事をしている人で、その業界ではリーダー格の人です。
彼はスイスのサンモリッツのパレスホテルで催されるファッション・ショーに、「バザー」の作品を使いたいと言ってきたのです。
さすがのマリーもびっくりしました。オートクチュール界の歴々の豪華絢爛たる貴族的な衣装の中に、マリーの作品をはさむなんて、喜劇のようにも思えました。
でも「バザー」が世界の一流どころと名をつらねることは、マリーにとっては願ってもないチャンス。モーレツに忙しい日が始まりました。
作品は事前に送ることになっていましたが、間に合わなくて、半分は個人の携帯品として(しかもスーツケースが足りなくて、お菓子の入っていた段ボールを近所の乾物屋から調達して詰めるといった有様。)持っていくハメに・・・。
さて、いよいよ出発の日。ロンドンの空港に着いたマリーは勢揃いした世界の一流モデルの壮観さにビックリ。マリーのその日のいでたちは、いつもと同じ黒のストッキングに黒のブーツ、そして黒の革のコートでした。