日本から戻ったマリーが日本の女性たちのためにと考案したのはファンデーションでした。世界の中でもとびっきりキレイな素肌をしている彼女たちのために、「素肌を活かして、よりキレイに色づける」メークをと考えたのです。名前はジェリー・ベビー。名前の通り、ベビーボトル(ほ乳瓶)の形をした容器に入れたゼリー状のファンデ。発売は6月に決まりました。この発表会のために、マリーは彼女の会社に所属するインターナショナル・デモンストレーター・チームのメンバーを日本に派遣することにしたのです。「私の創造意欲をかきたててくれたお礼」にと・・・。
選ばれたのは、ステファン・ニールとジャネット・レイの2人です。ステファン・ニールはその優れた才能が認められてチームに抜擢された若手ナンバーワンのアーティスト。得意とするのは「ファッション・コンシャス」。彼はマリーのファッションを完璧なまでに理解していました。彼の斬新なメークテクニックがあれば、どんなモデルが用意されていても、トータライズされたファッションが創り出せる。
片やジャネット・レイはマリーのコスメの大ファン。女性らしい繊細さを持ち合わせているし、何より、世界各国の女性の特徴を活かしたナチュラルメークが得意。この2人なら、きっと、いろんなメークが演出できる。
そんなマリーの確信通り、20日間にもわたった日本での店頭デモは大成功をおさめました。
こうして日本とマリーの関係は、次第に深くなっていったのです。
1977年、マリーは再び日本に向かいました。5年ぶりの日本です。この5年間で日本の女性たちが大きく変わったことに、マリーは驚きました。意識も生活も大きく変わっていました。メークの変化も歴然でした。
5年前は、欧米のメークを一生懸命真似ていたけれど、今はもう、自分たちの個性を大切にしている。
マリーにはうれしい発見でした。
マリーが2度目の訪日を果たしたこのとき、日本ではおもしろい論争が展開されていました。それは・・・。