モントリオールから帰国したばかりのマリーに、予期せぬ電話がかかってきました。電話の主は、アメリカのピューリタン社のカール社長でした。
マリーの仕事を見たいというのです。ピューリタン社といえば、アメリカ三大メーカーのひとつ。社長の目的を知ったマリーたちは、ロンドン中の他の若いデザイナーの仕事もあますところなく見せて歩きました。
その翌日ランチをともにしたとき、社長はピューリタン社との契約の話を切り出しました。しかし、マリーたちはすでにピューリタン社とは競合関係にあるペニー社と契約を交わし、莫大な取引をしていました。マリーたちはその事実をつつみかくさず社長に話しました。
でも、彼は一向に動じませんでした。
今回のように、メーカーがデザイナーの名前を全面的に出して販売企画するのは画期的なことでした。1人の有名デザイナーの個性だけを頼りに商売するのはリスクが大きすぎるからです。でもカール社長はそうしたことも充分承知の上で、賭けともいえる新しい仕事に乗りだそうとしていました。目的は新しい若いファッション分野を開拓すること。彼のプランは充分すぎるほど慎重に練られていました。デザイナーもマリーひとりではありませんでしたが、とても魅力的なプランだと思えるだけの説得力がありました。
それから3ヶ月間、マリーたちは猛烈な取引交渉に明け暮れることになりました。
手始めは、ペニー社との交渉でした。幾分抵抗はあったものの夫であるアレキサンダーのねばり強い説得によって、なんとかペニー社からの承諾はとりつけることができました。しかし、その間、ピューリタン社との交渉は次から次へと問題がおこって暗礁に乗り上げていました。マリーはそんなことにはおかまいなしにピューリタン社のためのデザインに没頭していました。最終的に契約がまとまった時点では到底間に合いそうもなかったからです。
60着ものデザインが仕上がり、パターンも完成。
それでも契約はまとまりません。それでもなんとか契約にこぎつけたのは、業を煮やしたカール社長が直接英断を下したからでした。さてそれからです。オリジナルデザインを海外に持ち出すときは「保税措置」など大層な手続きが必要なことはマリーも知っていました。でも今回のようにさしせまった場合、とてもそんな時間のかかる手続きをしている余裕はありません。こうなったら個人の見回り品として持ち出してしまうしかない・・・。
早速、トランクを9つも買い込んで60着もの新作デザインを詰め込み、二人はイカれた金持ち夫婦を装って旅立ちました。あきれる位カサ高い荷物でしたが、税関は難なくパス。
さぁいよいよ・・・です。