マリーのパリ・デビューを飾る「ウェット・ルック」と名付けられたコレクションは、彼女ならではの演出とみごとにマッチして、ショーは素晴らしい成功を収めました。
さて、それから2~3週間たった頃、サンデータイムズのファッション・ディレクターをしているアーネスタイン・カーターから電話がかかってきました。ちょうど、マリーが新しく担当することになったアメリカ映画の衣装の打ち合わせを、そのプロデューサーや監督としている最中でした。アーネスタインが知らせてくれたのは、「サンデータイムズ」の“ファッション賞”の受賞者にマリーが決まったというビッグなニュースでした。
マリーは驚きのあまり気が遠くなりそうでした。アーネスタインの推薦や働きかけのお陰だと感謝の気持ちでいっぱいなのに、マリーの口から出てくる言葉ときたら、まったく意味不明・・・しどろもどろでした。思い出せばパリでのショーの後、アーネスタインが有名なジャーナリストたちに、しきりにマリーを引き合わせていたのは、その含みがあってのことだったのでしょう。
マリーはこの賞が国際的な権威ある審査委員が決定することを知っていました。だから、そんな大きな賞はクーチュリエにいくものと頭から決めてかかっていたのです。授賞式はロンドン・ヒルトンで行われました。その行事にはアーネスタインが構成した豪華なショーも予定されていて、デザイナーを含むファッション業界の主だった人たち3000人が列席しました。切符は早くから完売。マリーでさえ両親のために2枚の切符を手に入れるのがやっとでした。
リハーサルは2日間、念入りに行われました。おびただしい数のモデルたちが入れ替わり立ち替わり出入りする中、マリーたち受賞者はインタビューや写真撮影、テレビ撮影などの取材に追われ、神経がクタクタにまいってしまいそうなくらい緊張の連続でした。
この時マリーを不安にさせていたのは、ショーで披露されるドレスの値段でした。
カルダンやノエルの高価なクチュールのドレスの間に紹介されるマリーの「ウェット・ルック・コレクション」は、どれも5ポンド(当時、約4,400円)そこそこのものばかり。「誰でも買えるファッション・ドレスこそ私の主張」と自分自身に言い聞かせても、なお一抹の不安がマリーを落ち着かせませんでした。
この栄誉ある行事の間、マリーは頭のてっぺんまでドキドキの連続、あがりっぱなしでした。