今回の旅行は、マリーがアメリカに進出する「記念すべき第一歩」となりました。その先鞭をつけたのが「セブンティーン」誌の企画でした。その企画とは、雑誌のためにオリジナル作品をデザインし、ロンドンで撮影。同時に、ニューヨークのメーカーにその作品を作らせて売り出そうというものでした。
ロンドンに戻ったマリーはフル回転。新しい服のデザインに没頭しました。ファッションの焦点を若い世代に移行したロンドンと比較すると、オリジナリティをまだまだ表現できないでいるニューヨークの若い人たちに、マリーのデザインをぶつけてみる絶好の機会になりそうでした。
そして、いよいよ撮影の日を迎えました。
その日のロンドンは凍てつくような寒さでした。その中で夏服の撮影をするというのです。でもモデルたちはがんばりました。発刊されたセブンティーンを見ると、真夏の写真としか思えません。モデルたちものびのびと撮れていました。
その一方で、ニューヨークのメーカーからひとりの女性が派遣されてきました。デザインのひとつひとつを量産ラインにのせるための検討が彼女の役目でした。マリーたちは彼女から、ドレスを「マスプロ化」するノウハウを学びました。アメリカでは、信じられないくらいの膨大なデータをもとに、体型別のサイズ分類ができあがっています。大事なのは、どのサイズの服も全体から見て美しく調和がとれていること。サイズがひとつ大きいからポケットもひとまわり大きくするといった単純なものではありません。ポケットの位置や大きさ、カフスや衿の大きさ、ダーツの長さや位置などすべてを検討しなければなりません。だからイギリスでは入社早々の新米の仕事とされているグレーティング(各サイズをつくる仕事)がアメリカでは大変なエキスパートとして評価されているのです。マリーもそうあるべきだと思いました。ニューヨークの街にあふれるエネルギーもマリーにとって強烈でしたが、彼女がもっとも影響を受けたのは、アメリカ人の職業意識かもしれません。それはマリーの仕事に対する考え方を根底から変えてしまうほどでした。
こうしてアメリカへのデビューを果たしたマリーに、ある日、一本の電話がかかってきました。1,700ものチェーン店をもつ(アメリカ最大の)J.C.ペニー社のバイヤーからでした。彼の名前はポール・ヤング。
彼のこの1本の電話が、マリーのアメリカファッション界における地位を確かなものにし、やがて世界市場にその名を拡げる発端になったのでした。